探究する意義

東海大学付属大阪仰星高校 米倉真一 先生

インターネットやSNSなどで気になる情報を次から次へとたどっているうちに、時間を忘れて没頭してしまうことがあると思います。

スマートフォンを使うことが楽しくてやめられないのは、世の中にあふれる情報を「もっと知りたい」という気持ちが、私達の中にあるからではないでしょうか。

そのような自分の中からわきあがってくる「なぜ」や「知りたい」といった気持ちから探究学習の種である問いが生まれます。
そして何もない土地にその種をまき、新たな視点や情報という水を与え続けることで、やがて自分なりの答えという実をつけた木となるのです。

たとえその木が高校生活の間に大きく成長しなくても、周囲をあっと言わせるような答えに至らなくても良いのです。

種を育てるということが大切なのです。

ただし、初めの種は「ノーベル賞を受賞した日本人は誰なのか」などの、調べればすぐに解決できる問いではなく、育てる楽しみのある問いである必要があります。

難しいもののように聞こえますが、そのような問いは身の回りにあふれています。

例えば「運動が得意な人は身体の動きをどのように認識しているのか」、「どうすれば数学に対する苦手意識をなくすことができるのか」などです。

あらゆる可能性を想定して問いに向かい続けることは、出口を探して迷路の中で右往左往するようなものです。

しかし、自分が知りたいと感じることについて考えぬき、試行錯誤をしながら答えを探し求めることは、スポーツや楽器の上達を目指して奮闘することと同じように、どれだけ苦労を重ねても楽しいと思えるはずです。

探究する醍醐味は、このように物事を追求すること自体を楽しむというところにあります。

その楽しみの中から何を得るのか、それを人生にどのように生かすのかは、すべて自由なのです。

探究から主体的に学ぶ方法を体得する人、あらゆる困難の乗り越え方を学ぶ人、人生を豊かにする考え方を身につける人・・・などあらゆる人がいて良いのです。

ただ一つ、ゆるぎないことは、確かな根拠をもって答えへと向かおうとする姿勢がそこにあるかということです。

これから探究を通してその姿勢を学びながら、それぞれの探究する意義を見つけていって欲しいと思います。

そして、「なぜ」や「知りたい」といった探究の種を見つけ育てることを楽しみながら、生涯にわたって自分だけの探究の森を広げていって下さい。