探究する意義 その2
教育ジャーナリスト 後藤健夫 氏
なぜ、探究なのか。
それを考えていくと、「世界平和の構築」に行き着く。
そのためには豊かなコミュニティの形成がポイントになる。
なぜならばコミュニティが豊かであればコミュニティを構成する人たちのウェルビーイングが実現され、戦争、紛争を回避できるからだ。
では、豊かなコミュニティはいかに生まれるか。
それを学ぶ手法が「探究」なのだ。
ただし、探究は目的ではない。手段、学び方なのだ。
だから、豊かなコミュニティを実現するための手段、学び方を学ぶのだ。
「真実はいつもひとつ」と宣うコミックのキャラクターもいるが、実は「真実」は幾つもある。
ロシアにおける真実もあれば、ウクライナにおける真実もある。
イスラエルの真実もあれば、パレスチナの真実もある。
ただ、事実としては「人が殺されている」のだ。
こうした事実と向き合い、「正解のない問い」を解く。
そこには、正解が一つではなく、解は複数あるだろう。
だから、求め得るものは、最善解、あるいは納得解なのだ。
こうした解を導き出す段階で、仮説検証を繰り返して、合意形成を求めていく。
異なる考えや意見を、間違えとするのではなく、違いを違いとして受け止める。
他者を理解すること、受け入れることでコミュニティは豊かになる。
自分の行動や考えに対しても、他者からフィードバックをもらう。フィードバックをもらい、自分の行動や考えを振り返る。
こうして他者と対話を通して、自分の行動や考えをより良くして高めていく。そして、個人として成長するのだ。
こうした対話ができる学びのコミュニティは豊かである。
探究とは、あくまでも「さぐりきわめる」ことである。
「探る」ときに「問い」が生まれ、「問い」が連鎖することで「究める」ものだ。
探究は課題解決に使われるイメージがあるが、それだけでなく、自分が好きなもの、好奇心を持つものも「さぐりきわめる」ことができるだろう。
好きなことには、時間を忘れて没入する。夢中になるのだ。知りたいこと、理解したいことをどんどんと追いかけていく。
追いかけていくと知りたいこと、理解したいことがわかるようになるが、しかし、新しい「問い」も生まれる。
だから、またその「問い」を追いかける。そして、また「問い」が生まれる。
こうした「問い」の連鎖が、まさに「たぐりきわめる」方法であり、探究だ。こうして個人も成長をしていく。
課題解決もそうだ。解決したかに見えても新たな「課題」を生むことはしばしばあることだ。こうして「探究」という学び方を学ぶ。
だから、探究が終わらないことが多い。
成果発表では、途中経過でしかないから「さて、次はどうする?」「この経験をなにに活かしたい?」と問われるのだ。
好きなことを究めていくと、それは、やりがいとなり、生きがいとなり、豊かに生きることができる。
個人としても成長できる。豊かに生きていれば、コミュニティの中でも豊かな振る舞いができるだろう。
こうして豊かなコミュニティが幾つもできれば、戦争や紛争を起こすこともなくなり、世界平和に近づくのではないだろうか。
これが、探究する意義だ。
さぁ、豊かな成長を求めて、探究してみよう。
